伏線とい言えば思い浮かべるのが伏線回収という言い回し.
冒頭のシーンに実は描かれていたというのは伏線にならないと思う.
背景としてきちんと描かれていたというだけに過ぎないことも多いだろうし.それがほとんど.
逆にきちんと描いておけば伏線として理解してくれるという風潮に違和感を感じる.
さて,ジークアクスという作品を視聴開始してみました.
賛否がある作品とは知っていましたが,,それは第一に声優のキャンスティングの違いが大きいと思える.
旧作を知っていると違和感を感じるとは思います.
いかにもというわかりやすいキャンティングになっていると思える.
それ自体にも意味があるのだがそれは表現者の特権だろう.
先に述べた伏線というのが悪用されている気がするのは気のせいか.
ロックダウンを経て常識が変わった,変化が目まぐるしいのでそのドサクサにまぎれていると感じる.
それを享受する側もそれなりの価値観を持っていないと大変だろうな.
とりあえずは描いておいたというのは伏線ではない.
それは風景の一部だというだけの話.
物質に過ぎない.